RADWIMPSHINOMARUについて

RADWIMPSHINOMARUという応援歌が、まるで軍歌だと批判され炎上、野田洋次郎さんが謝罪コメントを出す事態に。

こんな歌詞です

風にたなびくあの旗に古よりはためく旗に

意味もなく懐かしくなりこみ上げるこの気持ちはなに

胸に手をあて見上げれば高鳴る血潮、誇り高く

この身体に流れゆくは気高きこの御国の御霊

さぁいざゆかん日出づる国の御名の下にどれだけ強き風吹けど遥か高き波がくれど

僕らの燃ゆる御霊は挫けなどしない

胸にやさしき母の声背中に強き父の教え

受け継がれし歴史を手に恐れるものがあるだろうか

ひと時とて忘れやしない帰るべきあなたのことを

たとえこの身が滅ぶとて幾千代にさぁ咲き誇れ

以下省略

息子は君の名は。を観た後、映画よりもRADWIMPSを気に入ってしばらくは毎日のように前前前世やアルバム、YouTubeの替え歌前前前世替え歌で検索してみて下さいなどを聴いてたのでちょっと残念なニュース

気高きこの御国の御霊

日出づる国の御名の下に

受け継がれし歴史

ひと時とて忘れやしない帰るべきあなたのことをたとえこの身が滅ぶとて幾千代にさぁ咲き誇れ

こんな歌詞が並べば、先の戦争の頃の軍国主義、お国のため、天皇陛下のためと飢えや特攻で命を散らした若者のことを思い出す人がいても当然。

でも、野田洋次郎はそんな意図は1ミリもなかったと。

炎上前のTwitterのコメントでは以下のようにもいっています。

世界の中で、日本は自分達の国のことを声を大にして歌ったりすることが少ない国に感じます。中略自分が生まれた国をちゃんと好きでいたいと思っています。好きと言える自分でいたいし、言える国であってほしいと思っています。まっすぐに皆さんに届きますように。

これには全く同意

戦後教育を批判するつもりはないですが、自分の国を好きと言いにくいのは教育の影響はあると思います。

自分の生まれたところとしての日本を素直に好きと言えるようになりたいと思います。

だからこそ今回のことはちょっと残念

戦争のことと結びつける気持ちなくあの歌詞が書ける

今の若い人の感覚はそんな感じなのでしょうか。

これでは堂と日本を好きだと言える日はまだまだ先のような気がします。

日本人は先の戦争を決して忘れてはいけないし、少なくとも被害者よりも早く忘れてはいけない。

被害者が辛い思いをしている限り、謝罪は続けなければなりません。

お金はもう充分払っていると個人的には思ってますが

慰安婦像もやりすぎだと思っても、反対してはいけない。

遠回りにみえてもそれが1番の近道だと思う

自分が生きている間に解決しようと焦ってはいけない

老い先短い政治家により繰り返される失言も自分たちの世代で解決をとの親ごごろだとは思うけど逆効果

今回の歌もそれと同じ効果を惹き起こしてしまってる

戦争のことを忘れずに、次の世代に繋げ、反省や謝罪の気持ちを持ち続けることで初めてちゃんと日本のことを好きと言えるようになると思います。これらは両立できるはず。

曲はとてもいいし、言葉の選択を誤らなければ、サッカー日本代表の応援歌だと素直に思えるのに

個人的には作品について謝罪する必要はないと思うけど、指摘されて初めて気づいたのなら謝罪したくなる気持ちもわかる。

ワールドカップテーマソングのカップリング曲ということで、危機管理の面からの謝罪かもしれないですが。

でも、個人的に一番気になっているのは

胸にやさしき母の声背中に強き父の教え

というステレイタイプなフレーズですが

でも、RADWIMPS好きなので応援してますよ。

追記

その後行われたコンサートでは、

自分の生まれた国を好きで何が悪い!

と言って、HINOMARUを歌ったそうです。

もちろん、自分の生まれた国を好きで全然悪くないのですが、謝罪と報道された以下のコメントは、どちらかというと弁明だったようで。

野田洋次郎さんのTwitterより

戦争が嫌いです。暴力が嫌いです。

どんな国のどんな人種の人たちとも、手を取り合いたいです。

終戦記念日やその他の歴史的な事柄を語る時、アジア各国でライブをする度、僕はなるべく自分のメッセージを伝えてきたつもりです。

時代に逆行するのではなく、前進しようと。二度と繰り返してはいけないと。

HINOMARUの歌詞に関して軍歌だという人がいました。そのような意図は書いていた時も書き終わった今も1ミリもありません。

ありません。誰かに対する攻撃的な思想もありません。

そのような具体的な歌詞も含まれてません。この曲は日本の歌です。この曲は大震災があっても、大津波がきても、台風が襲ってきても、どんなことがあろうと立ち上がって進み続ける日本人の歌です。みんなが一つになれるような歌が作りたかったです。結果的にその曲で不快な想いをさせてしまった人がいたというのが何より悲しいです。

日本の歌を歌う上で歴史の上に成り立っているこの今の僕ら、その想いものせたかったので古語的な日本語を用いたのも一つの要因かもしれません。僕は色んな曲で古語を使うので自然な流れでした。

色んな人の意見を聞いていてなるほど、そういう風に戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした。これが僕の気持ちです。一つの嘘もありません。これからのキャリアや行動でもそうであることを証明していくつもりです。

どうか、皆さんに伝わりますように。

この先も、僕なりに自分のメッセージを伝えていきます。音楽で、活動で、この世界のプラスになるエネルギーとなれるように頑張ります。