ちょっとしたことの積み重ねが人生

この記事はFacebookに投稿した記事に少しずつ加筆しました。

こちらの神社からの日暮れの帰り道、少し前を歩いていた買い物カートを引いたお母様が

道端の植え込み龍谷大学の分館の植え込みだった気がするにサッと手を伸ばして空き缶と空きペットボトルを拾われました。

植え込みに捨てられていたゴミです。

当たり前に拾われたので、思わずご苦労様ですと声をかけた。本当はありがとうございますと言いたかったんだけど。

そしたら、

この先のにゴミ箱があるから、そこに捨てよう思てなと。

わたしも見習いますと言ったら、よろしく頼みますと。

進行方向が一緒だから、一緒に信号待ちして、その先別れる場所にそのゴミ箱があり、お母様はそこで缶とペットボトルを捨てた。

もう一度ご苦労様ですと声をかけたら、はいと。

できる事はするようにしてるけど、躊躇なく植え込みに手を突っ込んで缶やペットボトルは拾えなかったな

なんてことを考えながら今朝歩いていたら早速見習いますと言ったお前の言葉は本当か?とお試しのような

なんか缶より触りにくいベッタリとした中に何か入ったビニール袋が目の前に道に登場。

拾いました。

ビニール袋の端っこをちょっとだけ摘んで、

手を伸ばして、自分の身体から離し気味でゴミ箱まで持っていき捨てました。

遠くの情報に気を配ることも、

目立つ方の功績に興味を示すのも良いんどけど、目の出来事をちゃんと目を開いて見ていたい。と思っている。

善意とか善行に気がつく人生を過ごしたいと思ってる。

その善意や善行も、目立つものや隠れてものがあるんだけど

じぶんが貰えるものばかりを血眼になって探す人生もあるだろうし、

手に入れていくことに価値を感じる感性ももちろんあるんどけど、

だからと言って

人間の見返りを求めない心の様なもの、もっと言うとその行動に鈍感にはなりたく無い。

興味が無いと見えてこない事は世の中に溢れてて、私もそれはそれは多くの事を見逃して居るんだけど、目の前で善意でゴミを拾う方の姿が見えなくなりたくは無い。

ちょっとして事の積み重ねで人生って成り立ってると思ってる。

左手に缶とペットボトルの拾ったゴミを持つお母様。

後ろ姿が目に焼きつく。

私はたまたまお見かけしたけど、誰も見てなくてもこのお母様はいつもされてるのでしょう。

淡と、自分ができることを、評価を求めずにやり続ける。

言うのは簡単。

見たものを分析するのも簡単。

難しいのは、自分もやること。

華しく無いこと

評価されないこと

格好悪いこと

泥臭いこと

人生の大半はコッチの様な気がする。

それでも幸せなら最強だ。