台湾という国(その1) - みちのくの放浪子

「二イタカヤマノボレ1208」

1941年12月2日、連合艦隊司令長官山本

五十六から、密かにハワイへ向かう南雲

第1航空戦隊へ発せられた「米国との開

戦は12月8日」を告げる暗号文である。

写真は台湾中部に聳える「玉山」。

北東アジアの最高峰3952m、富士山より

高く、五十年にわたる日本統治時代には

新高山」と呼ばれた。

この事により「新高山=玉山」は当時の

一億日本国民に知られることになる。

峻険な山系を伴っているので、富士山の

様には登れないらしい。

日台の歴史は十七世紀初頭にまで遡り、

秀吉も家康も、宣教師からもたらされる

情報により関心を示していた。

西・蘭は大航海時代から狙っている。

日本人の多くが台湾を知ったのは、なん

と言っても歌舞伎「国姓爺合戦」だ。

清国に滅ぼされた明の遺臣の子、鄭成功

が台湾に渡りオランダを追い出した。

彼は日本女性を母に長崎で生まれ、長じ

て台湾に明の再興を図った。

日本の武士も加勢に行ったそうである。

これを近松門左衛門が歌舞伎に仕立た。

判官贔屓の日本人は、この歴史絵巻にヤ

ンヤヤンヤの喝采をおくった。

正徳5年(1715年)11月の事であった。

なんと17ヶ月のロングラン興行となる。

考えれば、この時から日本人と台湾人は

兄弟なのである。

残念ながら鄭氏政権は二代22年で清国に

滅ぼされた。

その200年後、今度は日本が清国をやっ

つけて台湾を台湾人の元に取り返した。

奇しき縁である。

その台湾が、また大陸に狙われている。

今度は米国の加勢があるが、大陸国家と

言うものは厄介な存在だ。

その辺の事情を何回かに分けて、書いて

いきたい。

〈新高を 仰げば士魂の 夏の山〉放浪子

季語・夏の山(夏)

8月6日〔月〕晴れ

毎年の「平和記念日」という名称に

違和感を覚える。

多くの原爆犠牲者の命日ではないか。

何が「記念日」か??

いったい誰が決めたのだ。

国会か?だとしたら自民党は何してた??

「広島慰霊の日」「長崎慰霊の日」で

あるべきだ。

毎年インドやチベットなどの仏教徒

弔いの儀式をして下さっているのに?